生存報告と例大祭情報
みなさまお久しぶりです、あまぎです。
さて、G.Wもあっという間に過ぎ、早くも今月下旬に控えた例大祭10ですが、
私もサークル【プロステチウトの手慰み】(F12b)として参加いたします。
当日はどうぞ宜しくお願い致します!
しかし、前回の記事やカタログの方でお伝えした新刊「二ッ岩大明神/奈落で蠢く畸形たち」については、どうにも都合をつけられず、落としてしまうことになりそうです。
皆様、本当に申し訳ありません。
また折を見て、このマミゾウさん本の続きを世に出したいと思っております。
今度は落とすことがないよう、しっかりと同人誌として完成してから、再度他の即売会に申し込みして、頒布することになりそうです。
勝手ばかりを申し上げて大変恐縮ですが、その際にはまたどうぞ宜しくお願い致します。
なお、当日は既刊(といっても、前回出した本のみですが)を頒布しておりますので、もしよろしければお立ち寄りください。
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これだけの更新になってしまうのは寂しいので、恒例の、朗読小説作品を紹介して終わりたいと思います。
今回ご紹介するのは、特集オーディオドラマ「カムバック、小野田少尉」。
第30回放送文化基金賞本賞受賞作品です。
小野田少尉について、ご存じの方は多いのではないでしょうか。
小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年(大正11年)3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。大東亜戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。
・日本敗戦後
1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかった為、赤津勇一一等兵(1949年9月逃亡1950年6月投降)、島田庄一伍長(1954年5月7日射殺され戦死)、小塚金七上等兵(1972年10月19日同じく射殺され戦死)と共に戦闘を継続し、ルバング島が再び日本軍の指揮下に戻った時の為に密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をする。日本では1945年9月に戦死公報を出されたが、1950年に赤津が投降したことで、小野田ら3人の残留日本兵が存在することが判明する。
フィリピンは戦後間もなくアメリカの植民地支配からの独立を果たしたものの、両国の協定によりアメリカ軍はフィリピン国内にとどまることとなった。これを「アメリカ軍によるフィリピン支配の継続」、またフィリピン政府を「アメリカの傀儡」と解釈した小野田はその後も持久戦法により在比アメリカ軍に挑み続け、島内にあったアメリカ軍レーダーサイトへの襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開した。
(Wikipedia)
本作品は、このように根っからの軍人気質である小野田少尉と、そして、この小野田少尉を日本に連れ戻す役割を担った鈴木紀夫氏の物語です。
このお二人が記した体験記を元に書き起こされ、製作されたのがこのオーディオドラマです。
当時の日本の状況も含め、様々な知見を得られる傑作ドラマですので、
興味を持たれた方は一度ぜひ、聴いてみてください。
それでは、今回はこの辺りで失礼いたします。
また、例大祭会場で、あるいはまた別のどこかのイベント会場、またあるいは、この日記を含めたWEB上でお会いしましょう。
ありがとうございました!