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第十回博麗神社例大祭に申し込みました。

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マミゾウさん本の続き、出せたらいいな!
ということで、次回は地霊殿メンバーを軸にしたミステリ・サスペンス小説にしたいと思っています。
今のところ、【二ッ岩大明神/奈落で蠢く畸形たち】というタイトルを予定しています。
前作では人権や差別をテーマに物語を進めていたので、今作では「畸形」を背景に描いていきたいと思った次第です。

また、前作では第一章が里の村人視点であったのを引き継ぎ、今作でも第一章は、平安時代後期から鎌倉時代前期の京に生きた青年の視点で描いています。
なぜこんな話をするかというと、次回作一章の舞台が、この記事で話題にする朗読小説と関係しているからです。
というわけで、今日は菊池寛さんと、その朗読小説について簡単に触れていきたいと思います。

菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社を創設した実業家でもある。本名は菊池 寛(きくち ひろし)。

1916年に京大卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説家となる。1923年に私費で雑誌『文藝春秋』を創刊し大成功を収め、富豪ともなった。日本文藝家協会を設立。芥川賞、直木賞の設立者でもある。
大映初代社長や報知新聞客員を務め、これらの成功で得た資産などで、川端康成、横光利一、小林秀雄等新進の文学者に金銭的な援助をおこなった。

・大正時代の中期から麻雀をやり続け、かなり強かったそうであるが、自分が負けると、ムッとして黙り込んでしまい、「くちきかん」とアナグラムで陰口を言われたそうである。
・人生経験や人生観を創作に生かすことを重視していた。「小説家たらんとする青年に与う」という文章の中で、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」と述べている。
(Wikipedia)



菊池寛といえば、まず挙げられるのが「恩讐の彼方に」という時代小説です。
「僧」と「武士」、「悪」と「罪滅ぼし」……このようなワードが好きな方にはお勧めの小説で、おそらく、あらすじを読まずに聴いてみるのが一番面白いと思います。



これは僕がガチ泣きしてしまったレベルの名作なのですが、この記事の本筋に沿っているのは、同氏の別の短編小説「俊寛」です。本小説も朗読版がニコニコに挙がっていたのですが、運営により消去されてしまったようなので、リンク先は青空文庫になっています。

さて、俊寛(しゅんかん)は平安時代後期の真言宗の僧で、僧位の「僧都(そうず)」を冠して俊寛僧都と呼ばれることも多い人でした。彼は、今はもう無き、京都の法勝寺が「八角九重の塔」(写真は、京都歴史資料館の模型)の執行をつとめておりました。
マミゾウさん次回作の第一章は、この塔を舞台にして展開していきます。まだ執筆中なので、詳細を述べることは出来ませんが、前作の設定をある程度引き継ぎつつ、新刊だけでも楽しめるような構成にしたいと思っています。
どうぞお楽しみに!

マミゾウさんの物語の中に俊寛は顔を出さないと思いますが、しかし、菊池寛氏のこの小説自体はとても面白いので、宜しければ眼を通してみてください。最後に、Wikipediaから、俊寛の生涯について引用しておきます。小説とはすこし結末が違うのですが、事実の方も、それ相応の物語性を含んでいます。

生涯

後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。

『源平盛衰記』によると、藤原成親は松の前・鶴の前という二人の殿上童を使って、俊寛を鹿ケ谷の陰謀に加担させたという事になっている。松の前は美人だが愛情の足りない女で、鶴の前は不美人だが愛情に溢れた女であった。成親がこの二人に俊寛の酒の相手をさせた所、鶴の前に心をよせて女児を生ませた。すっかり鶴の前に心を奪われた俊寛は、謀反に加担する事を同意したのだ、という。

『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く。 これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行う。

翌治承2年(1178年)に船が鬼界ヶ島にやって来るが成経と康頼のみが赦されており、俊寛は謀議の張本人という理由から赦されず島に一人とり残された。俊寛は絶望して悲嘆に暮れる。 翌治承3年(1179年)、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を京へ持ち帰った。
(Wikipedia)

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